Saitoの沼通信

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とある若者が趣味のことを語る場所。Twitterでは文字数が足りないようなことが中心。 クラシック音楽、ウイスキー、カクテル、紅茶などが好き。

ブルックナー 交響曲第4番3楽章トリオの謎

 

ブルックナー交響曲には版の問題が必ずついてまわります。4番ももちろんです。詳しくは以前の記事(版問題全般はこちら、4番の版についてはこちら)にわかりやすくまとめています。
今回はその4番のなかで、一番よくわからない3楽章のトリオの謎を詳しく見ていきたいと思います。

1.4番のハース版とノヴァーク版第2稿の違い

まずは、以前の記事にも書いたことですが、ハース版とノヴァーク版第2稿における明確な違いについて、おさらいしましょう。Wikipediaにはこう書かれています。

 

第3楽章トリオ冒頭の管弦楽法(主旋律を演奏する楽器が違う)
第4楽章最後(練習番号Z)で回想される第1楽章第1主題の管弦楽法

 

4楽章最後に関しては、1886年の譜面を参照しているからそうなっているのだと解説がありますが、3楽章についてはハースが内容修正して再版したもののみ違っていると書いてあるのみで、かなりあやふやです。いったいこれはどういうことなんでしょうか?Wikipediaだけを読んでいてもさっぱりわかりませんし、詳しい解説もありません。謎に包まれたままなのです。

 

こうしたものを詳しく知るには、多くの譜面を比較検討するのが一番いいです。ノヴァーク版第2稿、ハース版は1944年と1936年、さらには自筆譜(遺贈稿)と、弟子の改訂が入っていると言われる初版まで実際に見て比較しました。国際楽譜ライブラリープロジェクトIMSLPに存在しているのがありがたいですね。1886年時点の自筆譜のみ載っていないのが残念です。
(コロンビア大学に行って見てみたい…)

 

2.5つの譜面の相違点

今回問題にしている3楽章トリオでは、3つの比較ポイントがあります。
①冒頭のメロディーを担う楽器
②練習番号Bの3小節目のrit.の有無
③練習番号Cから最後にかけての管弦楽法
この3つです。これらを版ごとに比べていきましょう。

 

A. ノヴァーク版第2稿
現在、最も一般的な譜面です。音楽之友社からリプリントがポケットスコアとして出ているので、一番手軽に入手できます。
①はフルートとクラリネットの旋律になっています。そして、②には後から書き込んだようなrit.の指示があります。さらに、③には音符の一つもない、不自然なKlar.2の段があります。
Bruckner Symphony No.4 Mvt.3 Trio Nowak-1
Bruckner Symphony No.4 Mvt.3 Trio Nowak-2

 

B. ハース版1944年
現在ハース版は、リプリントのDover社が出しているものしか、手ごろに入手できるものはないと思います。そこに印刷されているのがこれになります。
①はオーボエクラリネットで、ちょうどフルートとオーボエが入れ替わったようです。②にrit.はなく、③には最後にも余計な段は1つもありません。
Bruckner Symphony No.4 Mvt.3 Trio Haas 1944-1
Bruckner Symphony No.4 Mvt.3 Trio Haas 1936-2(編集)

 

C. ハース版1936年
本題とはそれますが、これがおそらくノヴァーク版第2稿の版下になっています…。
①はフルートとクラリネットが旋律を担います。②にrit.はなし。③は不思議で、まずノヴァーク版第2稿では謎の空白だったKlar.2にちゃんと音符が存在して、上のKlar.1とユニゾンです。そして、51小節目でオーボエが突如消え、52小節目のKlar.2が記譜音Esの2分音符になっています。

Bruckner Symphony No.4 Mvt.3 Trio Haas 1936-1
Bruckner Symphony No.4 Mvt.3 Trio Haas 1936-2(編集)

D. 初版
今ではほぼ演奏されない譜面です…。
①は、微妙に<>が追加されたりなどしていますが音自体に変化はなく、メロディーはフルートとクラリネットです。②には、クラリネットの下だけにritard.の表記があります。③は、オーボエがハース版1936年と同様途中で消えますがこちらは四分音符が追加され、最後から2小節目で2番クラリネットが最初の八分音符以降消えます。ハース版1936年と似ているようで違う処理をしているという感じですね。

Bruckner Symphony No.4 Mvt.3 Trio 1888 version-1
Bruckner Symphony No.4 Mvt.3 Trio 1888 version-2

 

E. 遺贈稿
オーストリア国立図書館に、ブルックナーの遺言に従って収められている自筆譜です。1881年の改訂を含んだ状態と推察されますが、上のどれとも違っています。
①のメロディーはフルートとクラリネットになっていますが、オーボエとフルートのインクの滲み方から、表面を削って書き直している可能性がうかがえます。②にはrit.は存在していません。③は複雑です。濃いインクで書かれているのは、AとBの譜面、つまりノヴァーク版第2稿やハース版1944年と同じで、フルート、オーボエクラリネットすべて1本の指定があります。しかし、上から薄く加筆があります。まず、クラリネットの最初のI.という一本の指定の記号に斜線が引かれ、a 2つまり二本での指定に代わっています。そして、オーボエの最後3小節には薄く斜線が引かれ取り消されています。さらにクラリネットは、最後から3小節目には同じ音ながら声部を追加するように下向きの旗が記され、最後から2小節目には2分音符と4分休符らしきものが、記譜音F,実音Esの位置に書かれています。

Bruckner Symphony No.4 Mvt.3 Trio Manuscript-1
Bruckner Symphony No.4 Mvt.3 Trio Manuscript-2
Bruckner Symphony No.4 Mvt.3 Trio Manuscript-3

3.5つの譜面の比較と考察

まず、①の冒頭のメロディーの楽器についてです。
A.ノヴァーク版第2稿、C.ハース版1936年、D.初版、E.遺贈稿ではフルートとクラリネットで、B.ハース版1944年のみオーボエクラリネットです。しかし、E.は削って書き直している可能性が高いので、B.の形態が1881年以前のものである可能性があります。川崎高伸氏のホームページでは、米国のブルックナー研究家であるディヴィッド・グリーゲル氏のページの日本語訳が掲載されており、そこでは、

 

 ハースは『1881年形』を2回出版しました。1回目の<1936年版>では『1881年形』をそのまま出版したのですが、2回目の<1944年版>ではトリオのみ元の形の『1878年形』に変更しました。ここでは最初のメロディーをオーボエクラリネットが吹奏しますが、本来の『1881年形』ではすでにフルートとクラリネットが吹奏するように変えられているのです。すなわち、このことは『形態』の混合を意味するのです。
(「ブルックナー交響曲の諸形態」より)

 

と述べられています。現時点で、1881年以前の第2稿の形を参照できる譜面があるのかはわかりませんが、なかったとしてもB.ハース版1944年は1878年の形である可能性は高いと思われます。これはトリオの形式から説明がつくからです。このトリオ冒頭の旋律はトリオの末尾、ちょうど別の問題のある③の個所で再現されます。この時木管楽器でメロディーを担当しているのはオーボエ木管楽器です。ブルックナーは形式を非常に重視しているため、トリオの冒頭と再現部で使用楽器を変えている例はここ以外にはないと思われます(楽器を足す例はありますが、変える例は見たことがありません。もしあればコメントお願いします)。すると、この冒頭はフルートとクラリネットで末尾はオーボエクラリネットという管弦楽法は、最初から意図したものではない可能性が非常に高いのです。おそらく、ハースもそこに気付いたから1944年に内容修正してB.を出版したのではないでしょうか。

ブルックナー交響曲の諸形態



次に②の練習番号Bのrit.です。これは、B.ハース版1944年、C.ハース版1936年、E.遺贈稿には見られず、A.ノヴァーク版第2稿とD.初版に形態は違いますが見られます。これに関しては、先の川崎高伸氏が、

 

 「第四交響曲」IV/2でノヴァークは1886年の『ニューヨーク稿』を使用したが、私は、これは第3稿(レーヴェ稿)への一つの布石であると見なしており、『遺贈稿』へ立ち帰るべきであると考えている。
(「ブルックナー交響曲の出版譜」より)

 

と述べており、ノヴァーク版のもととなった1886年アメリカ出版用の原稿でのブルックナーの考え方が初版に反映されたものと考えられる。

ブルックナー交響曲の出版譜


 

最後に③の練習番号Cの管弦楽法です。これに関しては、完全に一致するのはA.ノヴァーク版第2稿、B.ハース版1944年、E.遺贈稿(薄い加筆は無視)です。一方、C.ハース版1936年とD.初版は似ていますが違っています。
E.遺贈稿の薄い加筆を採用するかしないか、そしてどう解釈するかで変わっているものと思われます。ハースはこの加筆をブルックナーのものもしくはブルックナーが承認したものと認め校訂したため、C.ハース版1936年ではこの書き込みが反映されていると考えられます。クラリネットの2分音符については、実音Es(記譜音F)と記譜音Esを混同したと和声から判断し、記譜音Es(実音Des)にしたものと考えられます。
D.初版は、ブルックナー以外の人の考えが入っている可能性があるので、1888年コーストヴェット第3稿との比較が必要だとは思いますが、このE.の書き込みから遠くない位置にはあります。オーボエの4分音符は、突然いなくなるのを避けるためと考えられます。一方、クラリネット2番の切れ方はE.の書き込みとは違っています。なぜ違っているのかはわかりませんが、2分音符で伸ばすよりも響きを薄くしようという意図があったのかもしれません。
ところで、A.ノヴァーク版第2稿の謎のなにも音がないKlar.2の段ですが、C.ハース版1936年をもとに加筆修正しているために生じたものと考えられます。その証拠に、オーボエの51小節目からの音符の形状が若干違っており、dimin.の筆跡がフルートやクラリネットとは明らかに違っています。つまり、C.で消えていたオーボエの最後3小節に音符を追加し、その一方でKlar.2はクラリネットが一本になったために全部削除したが切り取ることはできず、そのまま残ったと考えられます。

 

4.おわりに

5つの譜面を比較しましたが、ブルックナーはどの形態が望んだものだとは一言も言っていません。初版が間違っているとも、遺贈稿が正しいとも言っていないのです。ですので、私たちは選ぶことができます。しかし、選ぶためには譜面の比較や自筆譜の参照、そして曲の研究を通して作曲家と向き合わなければならないのかもしれません。
さて、譜面を比べるだけでこれだけのことがわかります。特に自筆譜には情報がたくさん詰まっています。本当にその曲を詳しく知ろうと思ったら、是非自筆譜や他の校訂譜などを参照してじっくりと考えてみてください!

 

ブルックナー 交響曲第4番の版

 

ブルックナーの版問題全般については、以前の記事でまとめましたが、具体的に一つの曲について掘り下げていくのもやってみたいと思います。今回は第4番、一般的には「ロマンティック」と呼ばれる作品です。
さて、4番の版問題は実はかなり難しいです。これにはブルックナー自身の改訂と、ハース版の校訂報告で解説されていない修正、そしてノヴァークの校訂の問題、さらに弟子の改訂問題とほぼすべての問題が絡み合っています。

 

1.作曲開始から初版出版まで

まずは、この曲の楽譜が世に出るまでにどのような道筋をたどったのかを確認しましょう。
 
交響曲第3番がいったん完成された後、1874年1月2日~11月22日に作曲されました( ① )。その後第一次改訂の波がやってきたこともあり、翌年から改訂作業を行いました。非常に大規模な改訂で、全体を通して大規模なカットや小節数の短縮、さらには管弦楽法や構造の変化も行われました。3楽章のスケルツォは完全に書き換えられ、現在の有名な「狩りのスケルツォ」になります。4楽章はのちに差し替えられるため、この稿のバージョンは"Volksfest"(民衆の祭り)と呼ばれることがあります( ② )。この改訂作業は1878年まで続きました。
 
1880年、第4楽章を展開の仕方や曲の構造を大規模に変更する改訂を行いました。こうして一般に知られる4楽章が完成します( ③ )。翌1881年に初演のために若干手が加えられ、2楽章と4楽章でカットが施されました( ③´ )。
 
1886年、アントン・ザイドルによるアメリカでの出版が持ち上がった際に、さらに改訂が加えられました( ④ )。この改訂は、1940年代にコロンビア大学図書館で自筆譜が発見され初めて知られます。
 
その後1887年から1888年にかけて、ブルックナー監修のもと弟子たちによって改訂されました( ⑤ )。これはちょうど第2次改訂の波の時期にも当たります。1楽章と4楽章はフェルディナント・レーヴェが、2楽章はヨーゼフ・シャルクが、3楽章はフランツ・シャルクがそれぞれ担当したらしいです。これがさらなる校訂を経て、ブルックナー生存中の1889年に出版されました。これが初版( ⑥ )となります。

 

2.段階の整理

さて、その後、初版に対する信ぴょう性の低さがブルックナーの死後出てきたため、国際ブルックナー協会が設立され、校訂した譜面が出版されていきました。ハースとノヴァークと責任者の交代もありややこしいですが、この4番の稿、つまり段階について整理しましょう。
前節で①~⑥と番号を振っていましたが、これらの稿の一般的な呼び方を挙げつつ整理します。

 

① 1874年完成: 第1稿or 1874年稿
② 1878年改訂: 1878年稿 ※4楽章(= Volksfest)のみ
③ 1880年改訂: (出版されていない)
③´  1881年改訂含む: 第2稿or 1878/1880年稿
④ 1886年改訂: ③´と同じor 1886年稿
⑤ 1888年改訂: 第3稿(or 1888年稿)
⑥ 1889年出版: 初版、レーヴェ改訂版、(レーヴェ)改竄版

 

改めて並べると、やはり複雑ですね…。一般的に演奏されているのは③´か④になります。

3.各版の解説

①から⑥について、もう少し説明していきます。
①は最初に作曲された形です。ノヴァークの校訂により出版されたので、ノヴァーク版第1稿とも呼ばれます。4楽章での5連符の多用が特徴的です。3楽章も今とは全く違う形で、この稿でしか聞くことができない音楽になっています。
 
②は、①の5連符の解消を中心に改訂されたものです。先に述べたように、3楽章は現在一般に演奏する形に書き換えられました。また、現状完全に再現できるのは4楽章のみです。1878年時点での譜面の上に1880年1881年の改訂が入っていて、再現不可能なためです。ノヴァークもハースも出版していますが、ノヴァークのものがほぼ使われます。CDも、この稿に関しては4楽章のみの録音がほとんどです。ただし、ゲルト・シャラーは1878/80年稿(③´)の1~3楽章と合わせた演奏も録音しています。
 
③は、あるように見えて実は出版されていないかたちです。正確に言うと、②と同じで1881年時点の改訂でどこが追加され削除されたのか明確にわからないからです。
 
③´は、1881年の初演の際の形です。そして、これが遺贈稿と呼ばれる、オーストリア国立博物館に収められているものと同じです。ここまで1878~1881年の間にどのような追加と削除が行われたのかはわかりませんが、少なくとも2楽章はL~Mの間20小節と、4楽章のOに入る直前にあった12小節のパッセージが4小節に短縮されているのは確実です。
この形態はハースが校訂し、出版した最初の形が一番近いです。そのため、ハース版と呼ばれることも多いです。正直、1878/80年稿ではなく、1881年稿と言えばいいのにと思います。
 
④は1886年に改訂された形で、これをもとにノヴァークは校訂をしました。そのため、ノヴァーク版第2稿と呼ばれます。③との主な違いは、木管楽器の増強や4楽章Zからの金管楽器の動きです。これも非常に一般的に演奏される形です。
 
⑤は、近年になってコーストヴェット校訂によって出版された形です。③から構造はほぼ変化していませんが、管弦楽法は大きく変化しています。本質的には⑥の初版と変わりませんが、細部の違いは大きいようです。校訂者から、コーストヴェット第3稿と呼ばれることが多いです。録音が、まだ内藤彰指揮,東京ニューシティー管と、オズモ・ヴァンスカ指揮,ミネソタ管の2つくらいしかないのが残念…
 
⑥は初版ですね。弟子の改訂が入っていますが、すでにハースがこの版の重要性を認めて、校訂して出版しようとしていました。あとは⑤とほとんど同じです。録音は、モノラル時代の巨匠たちのものくらいしかないのが残念なところです。

 

4.ハース版とノヴァーク版第2稿の違い

一般的に、現在ブルックナー交響曲第4番を演奏するとなったら、ハース版かノヴァーク版第2稿を用いることがほとんどです。どちらも1878/80年稿とされているし、構造に変わりはないのでほぼ同じに聞こえます。確かにそれは事実なのですが、細部ではかなり違っています。
 
まず、名称です。どちらも1878/80年稿としていますが、これは正直ノヴァークの失敗だと思います。ノヴァークは1886年の譜面、つまり④を参照して校訂を行っているので、本来なら1886年稿としなければいけなかったのです。このせいで混乱が生じることになっています。
 
次にオーケストレーションの点です。
実は、ハース版は1936年に一度出版されたのち、内容修正されて1944年に再度出版されています。ここで変更されたのは3楽章トリオなのですが、それによって1944年のハース版とノヴァーク版第2稿では、主旋律の木管楽器に相違が出ています。また、先に述べた4楽章Zでの金管楽器も大きく違っています。そのほかにも、細かい違いはたくさんあります。
この3楽章についてと、1944年ハース版とノヴァーク版第2稿の違いは詳しく書きたいのですが、話すと収まりきらないので、別途記事にします…

 

5.まとめ

最後に、各版の関係を簡単にまとめます。こんな感じです。

ブルックナー4番 版の関係-3 

赤はハース、緑はノヴァーク、水色はコーストヴェットの出版で、初版は青色にしてあります。ノヴァーク版第2稿の※は、前節で説明したノヴァークの呼び方の問題のことです。
 
この記事で、4番の版について理解が深まっていただけたら嬉しいです。

 

ブルックナーの版問題について

ブルックナーという作曲家には、常に版の問題というのがついて回ります。

しかし、ブルックナーに詳しくない人にとっては何のことやらでしょう。Wikipediaでも、正確に解説されているとは言えません。

そこで、今まで得た知識を使って、まとめ直してしてみたいと思います。

もちろん間違っているところもあると思うので、なにか気づかれたら遠慮なくコメントしてください!

 

 

1.版問題の原因

そもそも版問題はなぜ起こっているんでしょう?普通なら出版社の校訂の違いくらいでほぼ変わりません。それなのに、ブルックナー交響曲の版は複雑です。これには3つの理由があります。 

ブルックナー自身の改訂

②弟子による改変

③ハースからノヴァークへの校訂責任者の交代

それぞれ詳しく見ましょう。

 

ブルックナー自身の改訂

ブルックナーは作曲した交響曲のほとんどを改訂しています。つまり、一般的に知られている形が、最初に書かれたままの状態であるという交響曲はほぼありません。これはブルックナー自身の音楽的探究以外にも、他の作曲家、主にワーグナーから大きな影響を受けたり、初演を拒否されて自信がなくなって改訂したり…と様々な原因があるのです。

大きな改訂の波は2度あったと言われます。
一度目は1876年~1880年頃まで、これが「第一次改訂の波」と呼ばれます。1876年にワーグナーの「ニーベルングの指輪」の初演を見て大きな影響を受けたことが原因のようです。

二度目は1887年~1891年で、「第二次改訂の波」と呼ばれます。これは、ブルックナーが1887年に一度完成させた交響曲第8番を、尊敬していた指揮者ヘルマン・レヴィ に見せたら演奏不可能と言われ、自信を無くしたことがきっかけです。他にも、当時作曲を進めていた交響曲第9番を完成できる自信がなかったことも影響しているらしい(?)です。

 

②弟子による改変

これはブルックナーの意図とは関係ないとされてきましたが、実はそうでもない、というのが現在の学者たちの意見です。ブルックナー交響曲第7番が初演されるまで、全く売れない作曲家でした。しかし、フェルディナント・レーヴェやヨーゼフ・シャルクとフランツ・シャルクの兄弟などの弟子がいました。彼らは、売れない先生の作品を何とか世に出そうと、繰り返しをカットしたり、打楽器を追加したりオーケストレーションを変更したりして派手にしてみたり、いろいろと一般に受けるような編曲や改訂を手伝いました。このおかげでブルックナーの曲は演奏され、楽譜の出版もできたのです。
しかし、のちにブルックナー本来の意思は何だったのか、となったときに厄介になりました。この弟子による改訂を取り去るべきだという機運の高まりが、③に関連する校訂の始まりです。

 

③ハースからノヴァークへの校訂責任者の交代

有名な「ハース」と「ノヴァーク」の話です。まず、「ハース」とは最初の校訂責任者ロベルト・ハース(Robert Haas)です。最初のころはアルフレート・オーレルと、最後のほうはレオポルト・ノヴァーク(Leopold Nowak)と協力しながら1930年から1945年まで作業を行いました。この時に出版されたのが第1次全集、いわゆる「ハース版」です。しかしハースは、批判が強まっていた弟子の改定が入っていた楽譜(初版)から引用したり、ブルックナー自身の改訂のある時点で削除されたものを復活させたりして、早くから批判が出ていました。そして、ハースがナチスに協力していたことが決定打となり、1945年に国際ブルックナー協会から追放されました。

いくつかの交響曲は出版されませんでしたが、3番に関してはハースの志を継いだ(?)フリッツ・エーザーが校訂譜を出版しています。

ハースの後任には、先ほど出てきたレオポルト・ノヴァークが選ばれました。ノヴァークはハースの校訂態度を批判していて、責任者となったからにはすべてやり直すことにしました。彼は、ブルックナーの創作形態を段階ごとにすべて出版しようとして、②の弟子による改訂を除去した最終稿だけでなく、①のブルックナー自身の改訂をも考慮して段階ごとにすべて出版することにしました。これらが第二次全集、通称「ノヴァーク版」です。もちろんノヴァークが亡くなるまでにその作業は終わるはずもなく、キャラガンやコールス、コーストヴェットなどによってその作業が続けられています。ノヴァーク死後に関してはノヴァーク版とは呼ばれず、校訂者の名前をとって曲ごとに○○版(第◇稿or△△年稿)と呼ばれています。

 

2.版の評価

新しいものが出版されたのなら、それを使うようにシフトするのが当然だと思うかもしれません。しかし、そうはいっていないのが、版問題がややこしい原因の一つかもしれません。これは、ハースとノヴァークの校訂方針の違いが影響しています。

ハースは、

弟子の助言や要請による改訂部分を廃し、真にブルックナーが追求していた最終形を求める

ことを掲げました。そのため、自筆譜上はブルックナーによってカットが指示されていたり、紙をはって楽器が追加されていたりしても、それが本来の意図ではないと「ハースが考えたら」その指示は採用しませんでした。逆に言えば、弟子の助言や要請であっても、それがブルックナー本来の意図であるとハースが判断したら取り入れたのです。

一方、ノヴァークは、

ブルックナーの創作形態を段階ごとにすべて出版できるようにする

ことに主眼を置きました。そして、客観的な証拠がなければブルックナー自身のカットの指示を復活させたり、逆に追加されたものを削除したりはできないと判断をしたのです。よって記録上、ブルックナーの最後の改訂を反映したものがブルックナーの最終判断であるとノヴァークは考えたのです。

ノヴァークの態度は研究者としてみれば非常に厳密な態度であり、至極当然のものです。しかし、この態度が、ブルックナーを研究して演奏している指揮者たちから支持されないことも多かったのです。ハース版のほうが音楽的に優れていて、ノヴァーク版よりもいいという評価がわりと多くの指揮者によってなされました。これは交響曲第8番の版において最も顕著です。こうして、名演奏を残してきた指揮者の一部がハース版を使い続けました。ドイツではヘルベルト・フォン・カラヤンやギュンター・ヴァント、日本では朝比奈隆などです。こうしてノヴァーク版とハース版、両方が現代まで生き残っているのです。

残る初版はハース版出版以前から批判がなされており、全く顧みられない時代が続いていました。しかし、この初版しかなかった時代にも名演はあったわけで、それらを研究した指揮者たちは初版での改訂を実演に取り入れることも多くありました。さらに、研究の結果、ブルックナーが正当性を与えているものもあるということがわかってきた。このきっかけとなったのが第4番の初版です。そのため、現在は初版の再評価も進んでおり、現在刊行中の全集でも考慮されています。

より版問題が複雑になるのが厄介なところです…

 

3.版問題まとめ

いろいろと書いてきたので、整理します。
版問題の原因は、

 ①ブルックナー自身の改訂

 ②弟子による改変

 ③ハースからノヴァークへの校訂責任者の交代

の3つです。


各版の評価は、

「ノヴァーク版が主流だが、ハース版も音楽性の面から充分支持されており、初版の再評価も進んでいる」


しかし、各版がどの段階のものを出版しているのかはわかりづらいと思います。そこで、整理するために図示してみます。交響曲別にみるとどれともあてはまらないのですが、すべての交響曲を網羅はできていると思います。ハース版の?はハースの考えるブルックナーの意図した最終稿を意味するが、一回目の大改訂以降にあるとは限らないので注意してください。 

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初版、ハース版、ノヴァーク版の位置関係はおおまかにこのようになっています。ノヴァーク版に何本も線があるのは、段階ごとにすべて出版されているからです。ここでは、一旦完成したものは第1稿、一回目の大改訂後が第2稿、二回目の大改訂後が第3稿などと一般的に呼ばれます。異稿や小規模改訂を反映した譜面は研究が進むとともに出版されるようになったため、そこまで第◇稿に含めると混乱が生じるなどの理由からか△△年稿と呼ばれています。

 

おわりに

どうでしたでしょうか?この記事で、少しでもブルックナーの版問題がわかってもらえればと思います。ここがわかりづらい、ここ違うのでは?などありましたら、遠慮なくコメントお願いします!
それでは!