Saitoの沼通信

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とある若者が趣味のことを語る場所。Twitterでは文字数が足りないようなことが中心。 クラシック音楽、ウイスキー、カクテル、紅茶などが好き。

ブルックナー 交響曲第4番の版

 

ブルックナーの版問題全般については、以前の記事でまとめましたが、具体的に一つの曲について掘り下げていくのもやってみたいと思います。今回は第4番、一般的には「ロマンティック」と呼ばれる作品です。
さて、4番の版問題は実はかなり難しいです。これにはブルックナー自身の改訂と、ハース版の校訂報告で解説されていない修正、そしてノヴァークの校訂の問題、さらに弟子の改訂問題とほぼすべての問題が絡み合っています。

 

1.作曲開始から初版出版まで

まずは、この曲の楽譜が世に出るまでにどのような道筋をたどったのかを確認しましょう。
 
交響曲第3番がいったん完成された後、1874年1月2日~11月22日に作曲されました( ① )。その後第一次改訂の波がやってきたこともあり、翌年から改訂作業を行いました。非常に大規模な改訂で、全体を通して大規模なカットや小節数の短縮、さらには管弦楽法や構造の変化も行われました。3楽章のスケルツォは完全に書き換えられ、現在の有名な「狩りのスケルツォ」になります。4楽章はのちに差し替えられるため、この稿のバージョンは"Volksfest"(民衆の祭り)と呼ばれることがあります( ② )。この改訂作業は1878年まで続きました。
 
1880年、第4楽章を展開の仕方や曲の構造を大規模に変更する改訂を行いました。こうして一般に知られる4楽章が完成します( ③ )。翌1881年に初演のために若干手が加えられ、2楽章と4楽章でカットが施されました( ③´ )。
 
1886年、アントン・ザイドルによるアメリカでの出版が持ち上がった際に、さらに改訂が加えられました( ④ )。この改訂は、1940年代にコロンビア大学図書館で自筆譜が発見され初めて知られます。
 
その後1887年から1888年にかけて、ブルックナー監修のもと弟子たちによって改訂されました( ⑤ )。これはちょうど第2次改訂の波の時期にも当たります。1楽章と4楽章はフェルディナント・レーヴェが、2楽章はヨーゼフ・シャルクが、3楽章はフランツ・シャルクがそれぞれ担当したらしいです。これがさらなる校訂を経て、ブルックナー生存中の1889年に出版されました。これが初版( ⑥ )となります。

 

2.段階の整理

さて、その後、初版に対する信ぴょう性の低さがブルックナーの死後出てきたため、国際ブルックナー協会が設立され、校訂した譜面が出版されていきました。ハースとノヴァークと責任者の交代もありややこしいですが、この4番の稿、つまり段階について整理しましょう。
前節で①~⑥と番号を振っていましたが、これらの稿の一般的な呼び方を挙げつつ整理します。

 

① 1874年完成: 第1稿or 1874年稿
② 1878年改訂: 1878年稿 ※4楽章(= Volksfest)のみ
③ 1880年改訂: (出版されていない)
③´  1881年改訂含む: 第2稿or 1878/1880年稿
④ 1886年改訂: ③´と同じor 1886年稿
⑤ 1888年改訂: 第3稿(or 1888年稿)
⑥ 1889年出版: 初版、レーヴェ改訂版、(レーヴェ)改竄版

 

改めて並べると、やはり複雑ですね…。一般的に演奏されているのは③´か④になります。

3.各版の解説

①から⑥について、もう少し説明していきます。
①は最初に作曲された形です。ノヴァークの校訂により出版されたので、ノヴァーク版第1稿とも呼ばれます。4楽章での5連符の多用が特徴的です。3楽章も今とは全く違う形で、この稿でしか聞くことができない音楽になっています。
 
②は、①の5連符の解消を中心に改訂されたものです。先に述べたように、3楽章は現在一般に演奏する形に書き換えられました。また、現状完全に再現できるのは4楽章のみです。1878年時点での譜面の上に1880年1881年の改訂が入っていて、再現不可能なためです。ノヴァークもハースも出版していますが、ノヴァークのものがほぼ使われます。CDも、この稿に関しては4楽章のみの録音がほとんどです。ただし、ゲルト・シャラーは1878/80年稿(③´)の1~3楽章と合わせた演奏も録音しています。
 
③は、あるように見えて実は出版されていないかたちです。正確に言うと、②と同じで1881年時点の改訂でどこが追加され削除されたのか明確にわからないからです。
 
③´は、1881年の初演の際の形です。そして、これが遺贈稿と呼ばれる、オーストリア国立博物館に収められているものと同じです。ここまで1878~1881年の間にどのような追加と削除が行われたのかはわかりませんが、少なくとも2楽章はL~Mの間20小節と、4楽章のOに入る直前にあった12小節のパッセージが4小節に短縮されているのは確実です。
この形態はハースが校訂し、出版した最初の形が一番近いです。そのため、ハース版と呼ばれることも多いです。正直、1878/80年稿ではなく、1881年稿と言えばいいのにと思います。
 
④は1886年に改訂された形で、これをもとにノヴァークは校訂をしました。そのため、ノヴァーク版第2稿と呼ばれます。③との主な違いは、木管楽器の増強や4楽章Zからの金管楽器の動きです。これも非常に一般的に演奏される形です。
 
⑤は、近年になってコーストヴェット校訂によって出版された形です。③から構造はほぼ変化していませんが、管弦楽法は大きく変化しています。本質的には⑥の初版と変わりませんが、細部の違いは大きいようです。校訂者から、コーストヴェット第3稿と呼ばれることが多いです。録音が、まだ内藤彰指揮,東京ニューシティー管と、オズモ・ヴァンスカ指揮,ミネソタ管の2つくらいしかないのが残念…
 
⑥は初版ですね。弟子の改訂が入っていますが、すでにハースがこの版の重要性を認めて、校訂して出版しようとしていました。あとは⑤とほとんど同じです。録音は、モノラル時代の巨匠たちのものくらいしかないのが残念なところです。

 

4.ハース版とノヴァーク版第2稿の違い

一般的に、現在ブルックナー交響曲第4番を演奏するとなったら、ハース版かノヴァーク版第2稿を用いることがほとんどです。どちらも1878/80年稿とされているし、構造に変わりはないのでほぼ同じに聞こえます。確かにそれは事実なのですが、細部ではかなり違っています。
 
まず、名称です。どちらも1878/80年稿としていますが、これは正直ノヴァークの失敗だと思います。ノヴァークは1886年の譜面、つまり④を参照して校訂を行っているので、本来なら1886年稿としなければいけなかったのです。このせいで混乱が生じることになっています。
 
次にオーケストレーションの点です。
実は、ハース版は1936年に一度出版されたのち、内容修正されて1944年に再度出版されています。ここで変更されたのは3楽章トリオなのですが、それによって1944年のハース版とノヴァーク版第2稿では、主旋律の木管楽器に相違が出ています。また、先に述べた4楽章Zでの金管楽器も大きく違っています。そのほかにも、細かい違いはたくさんあります。
この3楽章についてと、1944年ハース版とノヴァーク版第2稿の違いは詳しく書きたいのですが、話すと収まりきらないので、別途記事にします…

 

5.まとめ

最後に、各版の関係を簡単にまとめます。こんな感じです。

ブルックナー4番 版の関係-3 

赤はハース、緑はノヴァーク、水色はコーストヴェットの出版で、初版は青色にしてあります。ノヴァーク版第2稿の※は、前節で説明したノヴァークの呼び方の問題のことです。
 
この記事で、4番の版について理解が深まっていただけたら嬉しいです。