Saitoの沼通信

Saitoの沼通信

とある若者が趣味のことを語る場所。Twitterでは文字数が足りないようなことが中心。 クラシック音楽、ウイスキー、カクテル、紅茶などが好き。

ブルックナー 交響曲第4番3楽章トリオの謎

 

ブルックナー交響曲には版の問題が必ずついてまわります。4番ももちろんです。詳しくは以前の記事(版問題全般はこちら、4番の版についてはこちら)にわかりやすくまとめています。
今回はその4番のなかで、一番よくわからない3楽章のトリオの謎を詳しく見ていきたいと思います。

1.4番のハース版とノヴァーク版第2稿の違い

まずは、以前の記事にも書いたことですが、ハース版とノヴァーク版第2稿における明確な違いについて、おさらいしましょう。Wikipediaにはこう書かれています。

 

第3楽章トリオ冒頭の管弦楽法(主旋律を演奏する楽器が違う)
第4楽章最後(練習番号Z)で回想される第1楽章第1主題の管弦楽法

 

4楽章最後に関しては、1886年の譜面を参照しているからそうなっているのだと解説がありますが、3楽章についてはハースが内容修正して再版したもののみ違っていると書いてあるのみで、かなりあやふやです。いったいこれはどういうことなんでしょうか?Wikipediaだけを読んでいてもさっぱりわかりませんし、詳しい解説もありません。謎に包まれたままなのです。

 

こうしたものを詳しく知るには、多くの譜面を比較検討するのが一番いいです。ノヴァーク版第2稿、ハース版は1944年と1936年、さらには自筆譜(遺贈稿)と、弟子の改訂が入っていると言われる初版まで実際に見て比較しました。国際楽譜ライブラリープロジェクトIMSLPに存在しているのがありがたいですね。1886年時点の自筆譜のみ載っていないのが残念です。
(コロンビア大学に行って見てみたい…)

 

2.5つの譜面の相違点

今回問題にしている3楽章トリオでは、3つの比較ポイントがあります。
①冒頭のメロディーを担う楽器
②練習番号Bの3小節目のrit.の有無
③練習番号Cから最後にかけての管弦楽法
この3つです。これらを版ごとに比べていきましょう。

 

A. ノヴァーク版第2稿
現在、最も一般的な譜面です。音楽之友社からリプリントがポケットスコアとして出ているので、一番手軽に入手できます。
①はフルートとクラリネットの旋律になっています。そして、②には後から書き込んだようなrit.の指示があります。さらに、③には音符の一つもない、不自然なKlar.2の段があります。
Bruckner Symphony No.4 Mvt.3 Trio Nowak-1
Bruckner Symphony No.4 Mvt.3 Trio Nowak-2

 

B. ハース版1944年
現在ハース版は、リプリントのDover社が出しているものしか、手ごろに入手できるものはないと思います。そこに印刷されているのがこれになります。
①はオーボエクラリネットで、ちょうどフルートとオーボエが入れ替わったようです。②にrit.はなく、③には最後にも余計な段は1つもありません。
Bruckner Symphony No.4 Mvt.3 Trio Haas 1944-1
Bruckner Symphony No.4 Mvt.3 Trio Haas 1936-2(編集)

 

C. ハース版1936年
本題とはそれますが、これがおそらくノヴァーク版第2稿の版下になっています…。
①はフルートとクラリネットが旋律を担います。②にrit.はなし。③は不思議で、まずノヴァーク版第2稿では謎の空白だったKlar.2にちゃんと音符が存在して、上のKlar.1とユニゾンです。そして、51小節目でオーボエが突如消え、52小節目のKlar.2が記譜音Esの2分音符になっています。

Bruckner Symphony No.4 Mvt.3 Trio Haas 1936-1
Bruckner Symphony No.4 Mvt.3 Trio Haas 1936-2(編集)

D. 初版
今ではほぼ演奏されない譜面です…。
①は、微妙に<>が追加されたりなどしていますが音自体に変化はなく、メロディーはフルートとクラリネットです。②には、クラリネットの下だけにritard.の表記があります。③は、オーボエがハース版1936年と同様途中で消えますがこちらは四分音符が追加され、最後から2小節目で2番クラリネットが最初の八分音符以降消えます。ハース版1936年と似ているようで違う処理をしているという感じですね。

Bruckner Symphony No.4 Mvt.3 Trio 1888 version-1
Bruckner Symphony No.4 Mvt.3 Trio 1888 version-2

 

E. 遺贈稿
オーストリア国立図書館に、ブルックナーの遺言に従って収められている自筆譜です。1881年の改訂を含んだ状態と推察されますが、上のどれとも違っています。
①のメロディーはフルートとクラリネットになっていますが、オーボエとフルートのインクの滲み方から、表面を削って書き直している可能性がうかがえます。②にはrit.は存在していません。③は複雑です。濃いインクで書かれているのは、AとBの譜面、つまりノヴァーク版第2稿やハース版1944年と同じで、フルート、オーボエクラリネットすべて1本の指定があります。しかし、上から薄く加筆があります。まず、クラリネットの最初のI.という一本の指定の記号に斜線が引かれ、a 2つまり二本での指定に代わっています。そして、オーボエの最後3小節には薄く斜線が引かれ取り消されています。さらにクラリネットは、最後から3小節目には同じ音ながら声部を追加するように下向きの旗が記され、最後から2小節目には2分音符と4分休符らしきものが、記譜音F,実音Esの位置に書かれています。

Bruckner Symphony No.4 Mvt.3 Trio Manuscript-1
Bruckner Symphony No.4 Mvt.3 Trio Manuscript-2
Bruckner Symphony No.4 Mvt.3 Trio Manuscript-3

3.5つの譜面の比較と考察

まず、①の冒頭のメロディーの楽器についてです。
A.ノヴァーク版第2稿、C.ハース版1936年、D.初版、E.遺贈稿ではフルートとクラリネットで、B.ハース版1944年のみオーボエクラリネットです。しかし、E.は削って書き直している可能性が高いので、B.の形態が1881年以前のものである可能性があります。川崎高伸氏のホームページでは、米国のブルックナー研究家であるディヴィッド・グリーゲル氏のページの日本語訳が掲載されており、そこでは、

 

 ハースは『1881年形』を2回出版しました。1回目の<1936年版>では『1881年形』をそのまま出版したのですが、2回目の<1944年版>ではトリオのみ元の形の『1878年形』に変更しました。ここでは最初のメロディーをオーボエクラリネットが吹奏しますが、本来の『1881年形』ではすでにフルートとクラリネットが吹奏するように変えられているのです。すなわち、このことは『形態』の混合を意味するのです。
(「ブルックナー交響曲の諸形態」より)

 

と述べられています。現時点で、1881年以前の第2稿の形を参照できる譜面があるのかはわかりませんが、なかったとしてもB.ハース版1944年は1878年の形である可能性は高いと思われます。これはトリオの形式から説明がつくからです。このトリオ冒頭の旋律はトリオの末尾、ちょうど別の問題のある③の個所で再現されます。この時木管楽器でメロディーを担当しているのはオーボエ木管楽器です。ブルックナーは形式を非常に重視しているため、トリオの冒頭と再現部で使用楽器を変えている例はここ以外にはないと思われます(楽器を足す例はありますが、変える例は見たことがありません。もしあればコメントお願いします)。すると、この冒頭はフルートとクラリネットで末尾はオーボエクラリネットという管弦楽法は、最初から意図したものではない可能性が非常に高いのです。おそらく、ハースもそこに気付いたから1944年に内容修正してB.を出版したのではないでしょうか。

ブルックナー交響曲の諸形態



次に②の練習番号Bのrit.です。これは、B.ハース版1944年、C.ハース版1936年、E.遺贈稿には見られず、A.ノヴァーク版第2稿とD.初版に形態は違いますが見られます。これに関しては、先の川崎高伸氏が、

 

 「第四交響曲」IV/2でノヴァークは1886年の『ニューヨーク稿』を使用したが、私は、これは第3稿(レーヴェ稿)への一つの布石であると見なしており、『遺贈稿』へ立ち帰るべきであると考えている。
(「ブルックナー交響曲の出版譜」より)

 

と述べており、ノヴァーク版のもととなった1886年アメリカ出版用の原稿でのブルックナーの考え方が初版に反映されたものと考えられる。

ブルックナー交響曲の出版譜


 

最後に③の練習番号Cの管弦楽法です。これに関しては、完全に一致するのはA.ノヴァーク版第2稿、B.ハース版1944年、E.遺贈稿(薄い加筆は無視)です。一方、C.ハース版1936年とD.初版は似ていますが違っています。
E.遺贈稿の薄い加筆を採用するかしないか、そしてどう解釈するかで変わっているものと思われます。ハースはこの加筆をブルックナーのものもしくはブルックナーが承認したものと認め校訂したため、C.ハース版1936年ではこの書き込みが反映されていると考えられます。クラリネットの2分音符については、実音Es(記譜音F)と記譜音Esを混同したと和声から判断し、記譜音Es(実音Des)にしたものと考えられます。
D.初版は、ブルックナー以外の人の考えが入っている可能性があるので、1888年コーストヴェット第3稿との比較が必要だとは思いますが、このE.の書き込みから遠くない位置にはあります。オーボエの4分音符は、突然いなくなるのを避けるためと考えられます。一方、クラリネット2番の切れ方はE.の書き込みとは違っています。なぜ違っているのかはわかりませんが、2分音符で伸ばすよりも響きを薄くしようという意図があったのかもしれません。
ところで、A.ノヴァーク版第2稿の謎のなにも音がないKlar.2の段ですが、C.ハース版1936年をもとに加筆修正しているために生じたものと考えられます。その証拠に、オーボエの51小節目からの音符の形状が若干違っており、dimin.の筆跡がフルートやクラリネットとは明らかに違っています。つまり、C.で消えていたオーボエの最後3小節に音符を追加し、その一方でKlar.2はクラリネットが一本になったために全部削除したが切り取ることはできず、そのまま残ったと考えられます。

 

4.おわりに

5つの譜面を比較しましたが、ブルックナーはどの形態が望んだものだとは一言も言っていません。初版が間違っているとも、遺贈稿が正しいとも言っていないのです。ですので、私たちは選ぶことができます。しかし、選ぶためには譜面の比較や自筆譜の参照、そして曲の研究を通して作曲家と向き合わなければならないのかもしれません。
さて、譜面を比べるだけでこれだけのことがわかります。特に自筆譜には情報がたくさん詰まっています。本当にその曲を詳しく知ろうと思ったら、是非自筆譜や他の校訂譜などを参照してじっくりと考えてみてください!