Saitoの沼通信

Saitoの沼通信

とある若者が趣味のことを語る場所。Twitterでは文字数が足りないようなことが中心。 クラシック音楽、ウイスキー、カクテル、紅茶などが好き。

ブルックナーの版問題について

ブルックナーという作曲家には、常に版の問題というのがついて回ります。

しかし、ブルックナーに詳しくない人にとっては何のことやらでしょう。Wikipediaでも、正確に解説されているとは言えません。

そこで、今まで得た知識を使って、まとめ直してしてみたいと思います。

もちろん間違っているところもあると思うので、なにか気づかれたら遠慮なくコメントしてください!

 

 

1.版問題の原因

そもそも版問題はなぜ起こっているんでしょう?普通なら出版社の校訂の違いくらいでほぼ変わりません。それなのに、ブルックナー交響曲の版は複雑です。これには3つの理由があります。 

ブルックナー自身の改訂

②弟子による改変

③ハースからノヴァークへの校訂責任者の交代

それぞれ詳しく見ましょう。

 

ブルックナー自身の改訂

ブルックナーは作曲した交響曲のほとんどを改訂しています。つまり、一般的に知られている形が、最初に書かれたままの状態であるという交響曲はほぼありません。これはブルックナー自身の音楽的探究以外にも、他の作曲家、主にワーグナーから大きな影響を受けたり、初演を拒否されて自信がなくなって改訂したり…と様々な原因があるのです。

大きな改訂の波は2度あったと言われます。
一度目は1876年~1880年頃まで、これが「第一次改訂の波」と呼ばれます。1876年にワーグナーの「ニーベルングの指輪」の初演を見て大きな影響を受けたことが原因のようです。

二度目は1887年~1891年で、「第二次改訂の波」と呼ばれます。これは、ブルックナーが1887年に一度完成させた交響曲第8番を、尊敬していた指揮者ヘルマン・レヴィ に見せたら演奏不可能と言われ、自信を無くしたことがきっかけです。他にも、当時作曲を進めていた交響曲第9番を完成できる自信がなかったことも影響しているらしい(?)です。

 

②弟子による改変

これはブルックナーの意図とは関係ないとされてきましたが、実はそうでもない、というのが現在の学者たちの意見です。ブルックナー交響曲第7番が初演されるまで、全く売れない作曲家でした。しかし、フェルディナント・レーヴェやヨーゼフ・シャルクとフランツ・シャルクの兄弟などの弟子がいました。彼らは、売れない先生の作品を何とか世に出そうと、繰り返しをカットしたり、打楽器を追加したりオーケストレーションを変更したりして派手にしてみたり、いろいろと一般に受けるような編曲や改訂を手伝いました。このおかげでブルックナーの曲は演奏され、楽譜の出版もできたのです。
しかし、のちにブルックナー本来の意思は何だったのか、となったときに厄介になりました。この弟子による改訂を取り去るべきだという機運の高まりが、③に関連する校訂の始まりです。

 

③ハースからノヴァークへの校訂責任者の交代

有名な「ハース」と「ノヴァーク」の話です。まず、「ハース」とは最初の校訂責任者ロベルト・ハース(Robert Haas)です。最初のころはアルフレート・オーレルと、最後のほうはレオポルト・ノヴァーク(Leopold Nowak)と協力しながら1930年から1945年まで作業を行いました。この時に出版されたのが第1次全集、いわゆる「ハース版」です。しかしハースは、批判が強まっていた弟子の改定が入っていた楽譜(初版)から引用したり、ブルックナー自身の改訂のある時点で削除されたものを復活させたりして、早くから批判が出ていました。そして、ハースがナチスに協力していたことが決定打となり、1945年に国際ブルックナー協会から追放されました。

いくつかの交響曲は出版されませんでしたが、3番に関してはハースの志を継いだ(?)フリッツ・エーザーが校訂譜を出版しています。

ハースの後任には、先ほど出てきたレオポルト・ノヴァークが選ばれました。ノヴァークはハースの校訂態度を批判していて、責任者となったからにはすべてやり直すことにしました。彼は、ブルックナーの創作形態を段階ごとにすべて出版しようとして、②の弟子による改訂を除去した最終稿だけでなく、①のブルックナー自身の改訂をも考慮して段階ごとにすべて出版することにしました。これらが第二次全集、通称「ノヴァーク版」です。もちろんノヴァークが亡くなるまでにその作業は終わるはずもなく、キャラガンやコールス、コーストヴェットなどによってその作業が続けられています。ノヴァーク死後に関してはノヴァーク版とは呼ばれず、校訂者の名前をとって曲ごとに○○版(第◇稿or△△年稿)と呼ばれています。

 

2.版の評価

新しいものが出版されたのなら、それを使うようにシフトするのが当然だと思うかもしれません。しかし、そうはいっていないのが、版問題がややこしい原因の一つかもしれません。これは、ハースとノヴァークの校訂方針の違いが影響しています。

ハースは、

弟子の助言や要請による改訂部分を廃し、真にブルックナーが追求していた最終形を求める

ことを掲げました。そのため、自筆譜上はブルックナーによってカットが指示されていたり、紙をはって楽器が追加されていたりしても、それが本来の意図ではないと「ハースが考えたら」その指示は採用しませんでした。逆に言えば、弟子の助言や要請であっても、それがブルックナー本来の意図であるとハースが判断したら取り入れたのです。

一方、ノヴァークは、

ブルックナーの創作形態を段階ごとにすべて出版できるようにする

ことに主眼を置きました。そして、客観的な証拠がなければブルックナー自身のカットの指示を復活させたり、逆に追加されたものを削除したりはできないと判断をしたのです。よって記録上、ブルックナーの最後の改訂を反映したものがブルックナーの最終判断であるとノヴァークは考えたのです。

ノヴァークの態度は研究者としてみれば非常に厳密な態度であり、至極当然のものです。しかし、この態度が、ブルックナーを研究して演奏している指揮者たちから支持されないことも多かったのです。ハース版のほうが音楽的に優れていて、ノヴァーク版よりもいいという評価がわりと多くの指揮者によってなされました。これは交響曲第8番の版において最も顕著です。こうして、名演奏を残してきた指揮者の一部がハース版を使い続けました。ドイツではヘルベルト・フォン・カラヤンやギュンター・ヴァント、日本では朝比奈隆などです。こうしてノヴァーク版とハース版、両方が現代まで生き残っているのです。

残る初版はハース版出版以前から批判がなされており、全く顧みられない時代が続いていました。しかし、この初版しかなかった時代にも名演はあったわけで、それらを研究した指揮者たちは初版での改訂を実演に取り入れることも多くありました。さらに、研究の結果、ブルックナーが正当性を与えているものもあるということがわかってきた。このきっかけとなったのが第4番の初版です。そのため、現在は初版の再評価も進んでおり、現在刊行中の全集でも考慮されています。

より版問題が複雑になるのが厄介なところです…

 

3.版問題まとめ

いろいろと書いてきたので、整理します。
版問題の原因は、

 ①ブルックナー自身の改訂

 ②弟子による改変

 ③ハースからノヴァークへの校訂責任者の交代

の3つです。


各版の評価は、

「ノヴァーク版が主流だが、ハース版も音楽性の面から充分支持されており、初版の再評価も進んでいる」


しかし、各版がどの段階のものを出版しているのかはわかりづらいと思います。そこで、整理するために図示してみます。交響曲別にみるとどれともあてはまらないのですが、すべての交響曲を網羅はできていると思います。ハース版の?はハースの考えるブルックナーの意図した最終稿を意味するが、一回目の大改訂以降にあるとは限らないので注意してください。 

f:id:Saito_numa:20200703054234j:plain

初版、ハース版、ノヴァーク版の位置関係はおおまかにこのようになっています。ノヴァーク版に何本も線があるのは、段階ごとにすべて出版されているからです。ここでは、一旦完成したものは第1稿、一回目の大改訂後が第2稿、二回目の大改訂後が第3稿などと一般的に呼ばれます。異稿や小規模改訂を反映した譜面は研究が進むとともに出版されるようになったため、そこまで第◇稿に含めると混乱が生じるなどの理由からか△△年稿と呼ばれています。

 

おわりに

どうでしたでしょうか?この記事で、少しでもブルックナーの版問題がわかってもらえればと思います。ここがわかりづらい、ここ違うのでは?などありましたら、遠慮なくコメントお願いします!
それでは!